和骨董大辞典

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里見勝蔵(さとみかつぞう)

 

明治中頃に生まれ昭和末頃にかけて活躍した洋画家です。

鮮やかな色使いと力強い筆致で知られるフォーヴィスムに傾倒し、当時の日本の芸術界において注目を集めました。

 

 

里見勝蔵の歴史

 

1895年に京都で生まれた里美勝蔵は、近所に絵師の円山応挙や松村呉春、また洋画家の安井曽太郎など名だたる芸術家たちが住む環境で育ちました。その後地元の中学校に在学中に東京美術学校の日本画科を卒業した鈴木信一らから美術の授業を受け、18歳で関西美術院に進学。ここでは洋画家の鹿子木孟郎の指導を受け、翌年には東京美術学校の西洋画科に入学しています。長原孝太郎や黒田清輝、藤島武二などにデッサン、そして油彩画を学び、1917年の二科展に出品した作品で初入選し、院展でも入選を果たすなどの成績を残し、24歳で同校を卒業しました。

 

卒業後は安井曽太郎やフランス人画家セザンヌに感銘を受け、1921年にヨーロッパへ渡っています。当時のフランスはアンリ・マティスをはじめとしてモーリス・ド・ヴラマンクやアンドレ・ドランなどを筆頭としたフォーヴィスムが盛んな時期で、里見勝蔵もヴラマンクに指導を受けました。芸術学校のグランド・ショミエールに通って腕を磨き、1924年には日本の美術雑誌の『中央美術』にフォーヴィスムの代表的な画家の1人、ジョルジュ・ルオーについて書いた記事を紹介しています。これは日本で初めてのジョルジュ・ルオーの紹介なり、里見勝蔵は翌年の帰国後も渡欧中の作品を二科展に出品して樗牛賞を得るなど、ヨーロッパで目にし、学んできた情報や技法を日本に広めていきました。

 

以降も制作活動に励み、32歳の時には6点の作品を二科展に出品し二科展賞を受賞。翌年には二科展の会友に選ばれたほか、フランス留学時に交流のあった前田寛治や佐伯祐三らとの5名の画家仲間たちで美術団体・一九三〇年協会を結成し、1926年から1929年の間所属しました。この第一回の展覧会には渡欧中に制作した40点もの作品を出品したほか、この時期にはキュビズムにも関心を寄せるなどし、翌年の二科展に出品した6点の作品がそれぞれ二科賞を得るなどしています。やがて1930年には二科会の会員となりましたが、間もなく脱会し、三岸好太郎や児島善三郎などと独立美術協会を設立。その後約7年間、同展に出品を続けました。

 

第二次世界大戦が終結したのち59歳になった里見勝蔵は、1954年に国画会に入ると再びフランスへと渡り旧友との仲を深め、約4年の間滞在しています。1958年に帰国したのちは晩年まで国画会展への出品を繰り返し、画集の出版、個展の開催などでも活躍しました。そして1981年、85歳で息を引き取っています。

 

 

 

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