和骨董大辞典

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金山康喜(かなやまやすき)

 

1926年に生まれ、作品は静物画を中心に描きましたが、その多くに青色が使われました。

様々な明暗、濃淡のある青を、どれも透明感を感じさせる独特の色調で描いているのが金山康喜の作品の特徴といえます。

 

 

金山康喜の歴史

 

大阪府に生まれた金山康喜は、17歳の時に富山県へ移住し同地で高校に進学しました。そして上京すると東京帝国大学の大学院まで進み数理経済学を学びながら、油彩画に強い興味を持っていきます。この頃から洋画家猪熊弦一郎の主催した、田園調布の純粋美術研究所で本格的に絵を学び始め、24歳の頃に新制作協会展に出品し、新作家賞を受賞するなど、早くも才能を開花させました。

 

この翌年から金山はフランスへ渡り、ソルボンヌ大学法学部に入学しています。東京帝国大学大学院で学んだ数理経済学の研究が目的ではありましたが、滞在中はフランス語の文献の翻訳をしながら、当時フランスで活躍していた日本人洋画家、藤田嗣治や佐野繁次郎らの指導の下、制作活動も行いました。作品は室内で描かれるものがほとんどで、テーブルに乗った瓶やグラスなどの日用雑器が題材として多く選ばれています。これらの静物が青色の空間に佇むさまは独特の風合いを感じさせ、金山が26歳の時に出品した、ヨーロッパで若手芸術家の登竜門ともいわれるサロン・ドートンヌ展では、初入選を果たしています。この時出品した作品は、まもなくパリ国立近代美術館に買い上げられました。

早くから国内外の展覧会で評価され、具象画家としてその名を広めていた金山でしたが、自身が29歳の頃に結核が発病しました。やがて33歳の頃、療養もかねて日本に一時帰国した際に急逝しています。

 

 

 

佐野繁次郎(さのしげじろう)

 

20世紀に活躍した洋画家です。1900年に大阪で生まれ、大正時代から昭和前期に活躍した洋画家・小出楢重に学び、信濃橋洋画研究所へ通い、二科展への出品を行うようになりました。油彩画のほか、小説の挿絵や装幀を数多く手がけ生活していましたが、30代後半にフランスへ渡り、フォーヴィスムの代表的な存在でもあるマティスに師事するようになります。また滞在中にはシュルレアリスム運動に参加していたスペイン人画家のジョアン・ミロとも交流し、ヨーロッパの前衛的な画風に触れ帰国しました。

二紀会の設立に尽力したことでも知られるほか、現在も製造の続くパピリオ化粧品のパッケージデザインなども担当し、同社の重役も務めています。

 

 

 

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