和骨董大辞典

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鈴木信太郎(すずきしんたろう)

 

1890年代から1980年代にかけて活躍した洋画家です。作品は風景画が中心で、鮮やかな色使いでありながら、やさしい雰囲気のある作風で知られています。

 

 

 

鈴木信太郎の歴史

 

 

東京で生まれた鈴木の実家は生糸商を営んでおり、裕福な家庭で育ちました。やがて15歳になると白馬会洋画研究所に入り、ここで黒田清輝に絵を学び始めます。また一時は織染学校にて約2年間、織物図案を学び、図案家を目指して染織図案家、そして画家でもある滝沢邦行に師事していました。

しかし21歳の時に文展に出品した水彩画が同展の初入選作品となり、その後鈴木は図案ではなく油彩作品の制作に力を注いでいきます。20代後半の頃には二科展に油彩作品『桃と紫陽花』を出品して初入選を果たし、同じ頃から洋画家の石井柏亭に学び始めました。以降も二科展への出品を続けながら名を広めていき、1926年、31歳の時には二科展にて樗牛賞を受賞しています。2年後には二科会の会友、そして1936年には同会員になりました。

 

戦後も二科会に参加しその復興にも尽力しますが、60歳の頃になると退会。その後、高岡徳太郎や野間仁根などの画家仲間たちと共に美術団体「一陽会」を設立しています。これ以降は亡くなるまで同会の展覧会への出品を続けており、そのほか55歳の時からは約15年間にわたり武蔵野美術大学の教授として教壇に立ちました。またこの間には多摩美術大学の教授職も兼任しており、後進の育成にも携わっています。

自身の制作活動では60代半ばの頃に日本芸術院賞、そしてその約10年後に同会の会員となりました。1988年、93歳の時には文化功労者に認定され、その翌年、息を引き取っています。

 

 

 

 

滝沢邦行(たきざわくにゆき)

 

1880年代から1960年代にかけて活躍した画家、または染織図案家です。染織図案家とは着物や帯を織る際に、その織り方や糸の材質までをも考慮し図案を描き出していく、いわゆるデザイナーにあたります。一方で、滝沢邦行の作品は文展でも数回、入選作に選ばれており画家としての名も知られています。

 

滝沢邦行は25歳の時に37人の同志たちと共に日本水彩画会の発起人として同会の創立に尽力したほか、国内各地の桜の写生と研究を行い、昭和天皇にその成果となる『名桜選集』を献上しました。また、江戸時代後半に活躍した読本作家、滝沢馬琴(曲亭馬琴)の子孫でもあり、馬琴は滝沢邦行の高祖父にあたります。

 

 

 

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