和骨董大辞典

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香月泰男(かづきやすお)

 

1911年に生まれた画家で、太平洋戦争時にシベリアに収容された体験を元に描いた作品「シベリアシリーズ」が、代表的作品となっています。

 

 

香月泰男の歴史

 

 

山口県に生まれた香月泰男は幼少期から絵を好んでおり、中学を卒業後、川端美術学校に入学しました。同校を卒業後は20歳で東京美術学校西洋画科に進学し、洋画家の藤島武二について絵画を学んでいます。その間はゴッホや梅原龍三郎といった画家たちに傾倒し、在学中には国画会で入選を果たしましたが、卒業後は画家ではなく、故郷で高校の美術教師の職に就きました。

教職の傍ら、結婚をしたのちも制作活動を続け、28歳の時には第三回文部省美術展覧会に出品した作品が特選を受賞しています。当時から比較的落ち着いた色遣いで、哀調を帯びた作品を描いていた香月でしたが、これがさらに暗く、抒情的に描かれるようになったきっかけが、31歳の頃に出兵し収容された、シベリアでの経験でした。

 

太平洋戦争時に徴兵された香月は満州に出兵し、敗戦後、ソ連軍によってシベリアの強制収容所に連行されました。そこではマイナス30度にもなる極寒の地で過酷な重労働を科せられ、飢えと衰弱で日に日に仲間が死んでいく壮絶な環境に耐え抜きます。約2年間、捕虜としての生活を送ったのち、帰国して故郷に戻ってからは、以前と同じく教師として復職しました。それと同時に、やがて「シベリアシリーズ」と呼ばれる、シベリアでの絶望的な体験をキャンバスに描きだすようになります。捕虜となっている間も筆を握っていた香月は、自身の絵具箱に書き留めておいたと言う『葬、月、憩、薬、飛、風、雨、伐、道、鋸、陽、朝』の12文字に込められた当時の記憶を元に作品を制作し、その恐怖や絶望を表現しました。

 

この題材は香月の中でも断続的ではあるものの長く取り上げられましたが、40代の頃からはそこに身近な風景も加わり、植物や食材などもよく描いています。その後、40代末頃には絵具に木炭を粉状にしたものを混ぜて作品に使用する新たな技法を生み出しました。以降はその木炭入りの絵具を使用した黒や黄土色を基調とした自身の画風を確立し、作品を描き続けています。

 

 

自身の創作活動を続けながらも、香月は高校教師、さらに55歳からは九州産業大学の芸術学部の教授も務め、後進の教育に励みました。そして58歳の時、「シベリアシリーズ」で第1回日本芸術大賞を受賞しています。生涯の中で57点を残した香月のこのシリーズは、63歳で香月が亡くなったあと、そのほとんどが山口県に寄贈されました。

 

 

 

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